SSブログ
中央ヨーロッパ周遊の旅 ブログトップ
前の10件 | -

ブダペストの夕食と夜景 ~ハンガリー~ [中央ヨーロッパ周遊の旅]

●名物料理グヤーシュを食す

4か国目の国スロバキアの観光が終り遅い昼食をドナウ川沿いのレストランで済ませた後、5か国目の国ハンガリー目指して、200kmバスは進みました。

午後五時ごろホテルに到着しました。チェックイン後改めて集合しました。

夕食は、ハンガリー名物のグヤーシュでした。

CIMG3622.JPG

酸っぱい感じのスープでした。おいしかったです。


●絶景の夜景スポットへ

ブダペストは町の中心をドナウ川が南北に流れていました。西岸のブダ地区と東岸のペスト地区に分かれているのだそうです。

ブダ地区は、高台になっていて、王宮を中心に歴史的建造物がたくさん残っています。ペスト地区は近代的な街並みが広がっていました。

夕食後に訪れたのは、高台のブダ地区ゲッレールトの丘という絶景の夜景スポットでした。

レストランからこの丘に来るまでにもドナウ川沿いの美しい夜景にバスの中はずっと歓声につつまれていました。
道沿いの教会のライトアップ、ドナウ川にかかるいくつもの橋は、それぞれの色で美しくライトアップされていました。

王宮、国会議事堂などの建物も、美しく品のあるライトアップでした。赤や黄色のイルミネーションではありません。金色や銀色の大人のイルミネーションと言ったらよいのでしょうか。しっとりと落ち着いた感じなのです。

さて、ゲッレールトの丘からの夜景スポットからの眺めです。

CIMG3632.JPG


CIMG3634.JPG


はるか遠くに、王宮や鎖橋が美しく輝いていました。好天にも恵まれて心に残る夜景を見ることができとても感動しました。

明日は、明るい日差しの中でのブダペストの観光となっています。


共通テーマ:旅行

プラチスラヴァを歩く  [中央ヨーロッパ周遊の旅]

● プラチスラヴァ城にて

ガイドさんの案内でまず訪れたのは、プラチスラヴァ城でした。

CIMG3574.JPG

外装は昨日シェーンブルン宮殿でみたあのマリア・テレジアン・イエローで塗装されていて新しいお城に見えますが、よく見ると改修、改修を重ねて現在の姿になっていることが分かりました。

それは、窓のそばに壁があったりして不自然な造りになっている個所があるのです。
昔の物を壊すのではなくリーフォームし続けながら使ってきているのですね。

広場のわきにはドナウ川がゆったりと流れていました。

CIMG3572.JPG

ハンガリーとソーストラリアをまじかに見ることができました。

●プラチスラヴァ旧市街を歩く

今度は、旧市街をガイドさんと歩きました。

CIMG3606.JPG

ミハエル門、プラチスラヴァ0地点、聖マルティン教会、シナゴーグ跡、ユダヤ人の大虐殺の慰霊碑、オペラ座、旧市街広場にある日本人大使館などです。建物内部には入りませんでした。

そのほか、「見つめる君」(マンホールのふたから人が顔を出している彫刻)、ナポレオン、アンデルセンなど近代美術の彫刻があちこちにあり歴史とユニークさのある町でした。

CIMG3601.JPGアンデルセンの銅像

驚いたのは、立っている彫刻だと思ったら本物の人間で、子どもが通りかかるとパントマイムをしていました。びっくりする子どもたちをみんな笑顔で見ていました。

オペラ座の近くでは早々とクリスマスマーケットのテントが出ていました。たくさんのかわいいグッズが売られていて見ているうちに時間が過ぎていきます。
ここでは、ささやかながら可愛いイヤリングをゲットしました。

そして、ドナウ川沿いのレストランで昼食を済ませて、バスはハンガリーめざして動き出しました。


共通テーマ:旅行

プラチスラヴァへ向けて大移動 [中央ヨーロッパ周遊の旅]

 オーストリア~スロバキア~ハンガリーへ~

旅も5日目になりました。

気温は、8℃、天気は曇りでした。でもさほど寒さは感じませんでした。

今日は、3つの国を移動します。今日の宿泊地は、ハンガリーなのです。それまでに、スロバキアの首都プラチスラヴァの観光をします。

国境が陸続きしかも検問なしで、ほかの国に行けるようになった今だからこそ可能な日程に感謝です。

宿泊地ウイーンから70km離れたところにプラチスラヴァはありました。9時に出発したバスは、10:30分には到着しました。

今回は、その間のことを書きます。

オーストリアからスロバキアの国境は、このような感じの建物でした。

人はいないしもちろん検問もなくバスはただ普通に通り過ぎただけでした。

中欧ヨーロッパCIMG3556.JPG

走っている時の風景に感動しました。日本ではありえない光景でした。

高速道路は、広い平原が果てしなく続いた中にありました。
その時のことです。しばらくの間、バスの周りはすべて風力発電の巨大な塔でいっぱいになったのです。

中欧ヨーロッパCIMG3553.JPG

中欧ヨーロッパCIMG3554.JPG


もちろん電柱は一本もありません。自然を利用して電力を供給しているのだと思いました。日本も見習うべき所がありますね。

話は、それますが、今までにヨーロッパを旅して思うことは、ほかにもあります。

高速道路沿いにほとんどごみは落ちていません。また、電柱もついていません。
日本の高速道路のように、夜、電気がついている状態で走行するのでなく、真っ暗な状態の中を走ります。

ドイツでは特にそれを感じました。自分の身を守るために、昼間でもライトをつけて走っている車がたくさんありました。

日本の道路事情を考えると、節約、節電できる所は、たくさんあるのではないでしょうか。
話を戻して、いよいよプラチスラヴァの観光に入ります。

4か国目になります。続きは次回になります。


15 ウイーンの森とバーデン散策ツアーに参加 [中央ヨーロッパ周遊の旅]

午後は、このオプショナルツアーに参加してみました。

料金は、8000円でした。参加者を乗せたバスは、ウイーン郊外をめざして走りました。

少し走るとこの辺りは森になっていました。でも山奥ではありません。

まずは、リヒテンシュタイン城です。

CIMG3531_R.JPG
去年の旅行で訪れたリヒテンシュタイン城と同じ名前でした。今でもリヒテンシュタイン公国の所有だそうです。中には入らずに記念撮影だけして帰りました。

途中、あの有名な作曲家ベートーベンが滞在し作曲をしたというレストランの前で立ち寄り記念撮影しました。

次は、マイヤーリンクの観光です。

エリザベートのたった一人の息子ルドルフ皇太子が男爵夫人マリーと自殺した場所です。
今では、その場所は小さな礼拝堂になっています。

そこに入ると年取ったおばあさんが出迎えてくれました。お祈りを済ませてからルドルフ公やマリーの写真、遺品などが展示されている部屋を見学しました。

最後に小さな売店があり、そこで、然の蜂蜜が売られていました。3ユーロというあまりの安さに参加者全員買ってしまいました。

最後に、温泉で有名なバーデン散策の町を散策しました。

大きな温泉施設や、ホテル、長期滞在用のコンドミニアムのような建物が立ち並んでしました。日本の温泉街とは全く感じが違いました。

以上が、オプショナルツアーの内容です。

これで、バスはウイーンに戻ったのでした。

世界遺産シェーンブルン宮殿へ入場 [中央ヨーロッパ周遊の旅]

11/9 4日目の観光が始まりました。

ここは、オーストリアのウイーンです。
気温12℃、今日も天気は晴れ。今日もついています。

午前中は、ウイーン歴史地区観光です。メインは、シェーンブルン宮殿です。

その昔栄華を誇ったハプスグルグ家の夏の宮殿で、外装はマリア・テレジアン・イエローで統一された超豪華な建物でした。

ガイドブックや毎月送られてくる旅のご案内でいつか宮殿の正門のところで写真を撮ることを夢見ていました。そして今日やっとその夢が実現しました。

CIMG3501_R.JPG

バスから降りてすぐにあの正門がありました。
そこで、宮殿を背景に記念撮影できました。

それから広い庭を歩いて正面の宮殿入口から中に入りました。

日本語のガイディングレシバーを貸してもらえたので、とてもよかったです。

部屋の数は全部で1441あるそうです。
順路に沿って進みました。内部の装飾も素晴らしいものばかりでした。特に驚いたのは、陶器でできているストーブです。とても大きな花瓶のような形をしていて各部屋に配置してありました。

残念なのは撮影禁止なので写真がとれないことでした。

最後には、お土産を売る売店がありました。

そこでは、チョコレートのウエハースを買いました。家に帰って食べてみたらとてもおいしかったです。おすすめ土産ですね。
あとは、まんまるい形のチョコレートです。去年の旅行でもドイツで買いました。球形が特徴で音楽家が印刷された銀紙で包装されています。これもおすすめ土産です。

最後に宮殿の裏庭を見学しました。

次は、ベルベデーレ宮殿の見学でした。
ここは、入場しません。外から裏庭の所までの見学で終了でした。

CIMG3516_R.JPG

その後、リンク(ウイーン市内の環状道路)をバスで移動しながら、車窓から国会議事堂や市庁舎をみました。

どの建物も昔からのもので、アールヌーボー建築の素敵な威厳のある建物ばかりでした。
でも、あのドレスデンの建物のように、すすけた色はしていません。

まるで、中世ヨーロッパそのままのようでした。その中に、人々が自然と暮らしている感じが伝わってきました。

これで、午前中の日程は終了です。

午後は、自由行動となったのでした。


チェスキークルムロフの中で 3 [中央ヨーロッパ周遊の旅]

ちょっと遅めの食事タイムが始まりました。

場所は、なんと、この広場に面した「KRUMLOVSKA FONTANA」という名前です。発音はできません。

ここでも昼間から赤ワインを注文してしまいました。
メニューは日本のニジマスに似ていますがニジマスより大きなマスの姿焼きでした。
大きなお皿に乗っている姿は泳いでいるようです。
腹の部分が下で背中が上になって乗っているのにはびっくりしました。

CIMG3495_R.JPG

そのわきには、主食のフライドポテトが添えてありました。
味は塩味で臭みもなくとってもおいしかったです。

あとは、ヌードル入りチキンコンソメスープでした。3日目ともなると一緒のテーブルの方々との会話も弾み楽しく食事できました。

さて、とうとう帰る時がやってきました。

チェスキークルムロフは山の上から下へ降りてきながら観光してきたので、今度は、逆に坂道を上って帰ることになります。

来たときに歩いて渡ったラゼブニッキー橋を今度は、くぐり抜けてバス停へと向かいました。

途中の川の中では、護岸工事をやっていました。
そこには、日本では見たことのない機械が動いていました。

そして、バスに戻りチェスキークルムロフを後にしました。
最後にしっかりと目に焼き付けておこうと道路から見えなくなるまで眺めていました。

☆ また、いつの日か訪れることができますように!

バスは、一路オーストリアのウイーンをめざしはしりつづけました。
ここから290km離れています。

そして、4時間半かかり、夕方6時ごろ到着しました。

今日もまた、長い長いでした。3日目の観光が終りました。

明日は、あの有名なシェーンブルン宮殿の観光です。
 


チェスキークルムロフの中で 2  [中央ヨーロッパ周遊の旅]

広場の中心には、ペスト塔が立っていました。この旅では、これから行く先々見ることになります。

CIMG3540_R.JPG

その昔ヨーロッパでペストという病気が大流行した時、どの町でも病気の鎮圧を願って建てられたそうです。

話が横道にそれますが、ペスト塔が立っていた所は、ここ以外にも、ハンガリーのマーチャーシュ教会の庭や、センテンドレの町の広場、オーストリアのセンテンドレの町の広場などで見かけました。

ガイドさんの話によりますと、この下には、人間が逆さまになった状態で埋められているのだそうです。今ではとても考えられない出来事です。

さて、話を戻します。

広場から左に曲がって細い路地を歩いていくとまたお城を展望できる広場がありました。すぐ下には、モルダゥ川が流れていました。

CIMG3451_R.JPG

ここでは、添乗員さんとも記念撮影してもらいました。
チェスキークルムロフの思い出と共に添乗員さんのことも思い出すことでしょう。

しばしの自由時間となりました。私は主人とも離れて一人で行動です。今まで歩いてきた路地には、いくつもの可愛い店が並んでいたのです。ですが、集団行動のため全然入れませんでした。

集合場所の広場に戻るまでの途中の店にいくつか入ってみました。

天然石を売るお店。インドの衣装を売るお店。木製のおもちゃ。雑貨類。いろいろありました。

CIMG3466_R.JPG

雑貨のお店では、買い物をしました。

買ったものは、「リコラ」です。知っていますか?

それは、スイスの薬草から作った飴です。去年スイスを訪れた時に、添乗員さんからおすすめ土産で教えてもらいました。それが、ここチェコにも売っていたのです。しかもスイスより安かったのでびっくりしました。

速、購入しました。

買い物タイムの次は、お楽しみの昼食タイムです。              続く…

世界遺産チェスキークルムロフへ~1~ [中央ヨーロッパ周遊の旅]

午前中は、チェコのチェスキークルムロフへ190km移動です。

午後は、また国境を越えて、3か国目オーストリアのウイーンをめざし290kmバスに乗りました。

今回は、チェスキークルムロフまでの様子です。

この日の天気は曇り、12℃でした。朝8時に出発したバスは、一路チェスキークルムロフを目指しました。

途中、何回かの有料トイレ体験をし、午前11時半目的地に到着しました。

チェスキークルムロフを地図で見るとS字型に川が流れています。チェスキーは、チェコ語で「ボヘミアの」という意味で、クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯」を意味すると現地のガイドさんが教えてくれました。

CIMG3490_R.JPG

この川がモルダウ川の上流になるのだそうです。このモルダウ川は、後に訪れるオーストリアやハンガリーを流れるドナウ川の支流だそうです。

停留所から徒歩でチェスキークルムロフの町の中へ向かいました。

ぐんぐんと山に登る感じで坂を上りきると、町の中へ入るための門がありました。通り抜けた所が展望できる広場になっていました。

はるか下にはモルダウ川がS字に見えました。
ここが観光ガイドでよく目にする写真の場所でした。念願叶いこの地に来たことを実感しうれしくなりました。
この場所で何枚も写真を撮りました。

さらに進みお城の建物の中には中庭がありました。
4
そこを通り抜けて進むと家来や世話係の住居スペースがありました。ちょっとした広場になっていました。ここでは、その昔豚やヤギなどの家畜も飼われていたそうです。

ちょっと後ろを振り返ると、四角形の中に一本の棒がある彫刻のようなものが壁についてました。
これは、日時計だそうです。言われなければ、ステキな彫刻にしかみえません。

このような山の中での寒い寒い冬の暮らしはどんなものだったのでしょうか。想像つきません。

坂を下りながら歩いていくと広い広場に着きました。ここが町の中心でした。

この続きは次回に続きます。



カレル橋~旧市街へ中世の街並みを歩く [中央ヨーロッパ周遊の旅]

プラハ城から石の階段をどんどん下りました。

坂道の両サイドには、可愛い民芸品やクリスマスグッズが売られていました。小さなお店が並びどのお店のショーウィンドウもステキにディスプレイされています。のぞいてみることができないのが残念でした。

左右のお店を眺めながらさらに進んでいくと目的のカレル橋に到着しました。

CIMG3411_R.JPG

このカレル橋は、600年間も使われている石橋で、下を流れている川がスメタナの有名な曲「モルダウ」で知られているモルダウ川でした。
川の流れを見ながら曲を思い出しました。悠々と流れる様子とあの音楽はぴったりだと感じました。

橋の上にはたくさんの人が行き交っていました。
アクセサリーやハンコ、絵画などいろいろな物売りの人もいました。

今は歩道橋として観光客でいっぱいですが、昔は王宮と旧市街地をつなぐ、重要な橋だったそうです。

橋の両側には様々な人の銅像が立っていました。幸運を呼ぶとされるチェコの聖人ヤン・ネポムツキーの像に触り、ザビエル像も見ました。

橋の向こうには、旧市街がありました。

CIMG3425_R.JPG

そこには、天文時計がありました。2種類の違った形の大きな時計が印象的でした。
ちょうど午後6時には、天文時計の上部のからくり時計が動く様子が見られました。

ここで、しばしの自由時間でした。

私は、市場の方へ行ってみました。
市場と言っても野菜や魚はありません。屋台のマーケットという感じで、お土産品を並べてある店がずらりとならんでいました。
この時刻ですとちょうど店じまいの時刻で、どの店も店じまいのしたくをしていました。
時間があるなら、もっと居たい場所でした。

その後、再集合しバス乗り場まで歩きました。

その途中、チェフ橋の上からライトアップされてくっきりと美しいプラハ城が見えました。
まだ、2日目ですが、長い長い有意義な観光に満足してホテルに向かいました。

明日は3日目、ずっと行きたかった場所、チェスキークルムロフに向かいます。

聖ヴィート教会~プラハ城にて [中央ヨーロッパ周遊の旅]

ドレスデンの観光を終えて、遅い昼食タイムになりました。
場所は、ドイツ風のかわいいレストランでした。メニューは

○生サラダ
○ドイツのウインナー3本に酢キャベツ(ザウアークラウト)とマッシュポテト
○レッドベリーのデザート(甘くて赤い実がヨーグルトの上に乗っていた。ワイングラスに入っていました。)

とてもおいしくいただきました。
ヨーロッパでは、ポテトと酢キャベツは定番のようです。

さて、元来た道をチェコまで150km戻り、世界遺産プラハの観光に入りました。
町に入ると高台にプラハ城が見えてきました。

プラハ城からは、現地に住む日本人の女性の案内がつきました。

聖ヴィート教会に入場です。

たくさんの観光客でごった返していました。アーチ型の天井で、内部には、たくさんの美しいステンドグラスがありました。入って左側には、あの有名なミュシャの作品がありました。

CIMG3380_R.JPG

ほかには、人々の寄付によるもの例えば、パン屋さんだったりするとパンを作っている様子がステンドグラスになっていました。
東側の壁には大きな円形の中にハート型の入った素晴らしいステンドグラスもありました。
前方の祭壇まで進みお祈りを済ませて、外にでました。

左に進むと広場にでました。この広場を囲むように教会、旧王宮、宮殿などの建物が建っていました。
私と主人は、先ほどいた教会を背景に記念撮影しました。

ここで再集合して、全員で正門に向かいました。この正門の左右には門番の兵隊が直立不動で立っていました。台湾の兵隊を思い出しました。向かって左の兵隊さんのそばで記念撮影させていただきました。

これでプラハ城の観光は終了です。

私たちは、門を出てすぐ左の下り坂を下りていきました。
はるか前方にかすかに見えるカレル橋へと向かって行きました。

CIMG3405_R_R.JPG



この続きは次回です。

前の10件 | - 中央ヨーロッパ周遊の旅 ブログトップ
ᆍm

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。